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「新聞の記事から」は日本人が興味を抱きそうなことだけを対象にしていません。幅広くマレーシアを姿を伝えるためにニュースを選びその解説を加えています。

(画像はM.I. さんの製作です)

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9月1日のマレーシア記事

【サラワク州での州対抗のマレーシア杯サッカー試合後に騒動が発生】
サッカーのマレーシア杯における、サラワク州チームとペラ州チームの試合がサラワク州州都クチンで先週土曜日夜行われました。

この試合が終わった後の夜11時ごろスタジアムの内外で騒動が起きました。2千人ほどのファンが騒動に加わったようで、複数の警察の車が壊され、うち1台は放火されて燃えた。また2桁数のけが人がでました、その中には警察官5人も含まれる。またスタジアムにもいくつかの損傷が起きました。

騒動が始まった後、警官隊は多くの催涙弾を放ちました。地元警察トップによれば、5人が逮捕されました。

この試合は1対1で引き分けでした。このことでサラワク州チームの優勝の可能性は消えたとのことです。
現時点では何がきっかけで騒動が起きたかはわかっていません。 警察は騒動を鎮めるのに3時間以上かかりました。

マレーシアサッカー連盟の関係者は語る、「サラワク州とペラ州は昔からの敵チームということではないので、この騒動は意外であった。」

(Intraasia 注:サッカー試合でファンが騒動を起こすことはマレーシアでも時々起きています。施設などに損傷が起きたり、相手チームやそのファンに向けてボトルなどが投げつけられ、警官隊が出動して騒動を鎮めていることがその都度ニュースになります。ただ今回のようにパトカーが燃やされたのは珍しいことではないかな)

【ペナン州志願巡回警備団を巡って警察はペナン州政府を責める】
ペナン州政府が独自に組織した、ペナン州志願巡回警備団(PPS) の団員約160人が Esplanadeで行われたナショナルデーの独立記念日パレードに参加ました。その後警察はこの団員らを逮捕して近くの警察署に連行しました。
ペナン警察の幹部は、団体法に基づいてペナン州志願巡回警備団員を捜査する、と述べました。

ペナン州志願巡回警備団に関しては、最近市民から不当に扱われたと、警察訴え報告が出されました。それに関連してBarisan Nasional (国陣) の指導者らからペナン州志願巡回警備団を解散させるべきだとの見解が発表されていました。さらにマレー民族主義グループPerkasaからは、警察は巡回警備団の活動を捜査すべきだとの、警察報告が出されました。

また警察長官先週は、「警察はペナン州志願巡回警備団(PPS)を団体法に基づいて捜査する、同団は団体登録法に登録がされていない。これ以上活動を続けると逮捕する」と語りました
内務省副大臣も語る、「ペナン州志願巡回警備団(PPS)はそもそも初めからその活動を止めるべきだ。州政府が独自の軍隊的または警察的勢力を組織することは許されない。」

一方ペナン州政府は、ペナン州志願巡回警備団(PPS)を擁護しています。州首相は主張する、「もし団員が不当に逮捕されたのであれば、州政府はペナン州志願巡回警備団(PPS)に法的援護を提供する。」

ペナン州志願巡回警備団(PPS)は2011年5月にペナン州政府が組織しました。その目的は、交通整理、災害時、犯罪防止のため街頭パトロールなどの状況において、市民を手助けするというものです
現在ペナン州志願巡回警備団(PPS)に参加している団員数は9千人です。団員はいくつかの訓練コースを受けています。

別記事
人権推進協会の事務局長は言う、「ペナン州は独自のコミュニティーサービス団を組織できる。これは(全国各地にある)村の治安と発展委員会(通称JKKK)のような組織の権限と似ている。 だからペナン州志願巡回警備団は自発的コミュニティー団体なのかそれとも治安の役割を持つのかをはっきりさせる必要がある。」

(Intraasia 注:民聯 (Pakatan Rakyat) がペナン州政権を握る。そこでUMNO陣営と警察は、州政府が独自に組織した民間警ら団的な組織はその権限が逸脱しており存在すべきではない、と捉えていることが背景にあるようです。)

【ナショナルデーを記念したナジブ首相の演説から】
ナショナルデーの前夜、クアラルンプールで行われた第57回ナショナルデー式典でナジブ首相が行った演説の一部

我が国の歴史を振り返る時、我々は4世紀半の間植民地化された、マラッカスルタン国がポルトガル人に落とされた1511年から始まって、英国の植民政府までです。植民地者は次々とやって来て益を刈り取った、この土地の民を抑えつけた、それが1957年8月31日の独立まで続いた。

(Intraasia 注: マレーシアは一般に元宗主国と植民地者に対する敵視思考と態度はほとんど持たないし示さない、とりわけ150年以上半島部を支配された英国と英国人に対しては敵視どころか大変受容的です。よってナジブ首相の演説内でこのように言及されても、それはあくまでも歴史的事実を語っている程度の受け取られ方でしょう。 マレーシア国民は独立記念日を祝い、マレーシア国民意識を改めて自覚する、一方その国民の多数派は英語を多かれ少なかれ崇拝し、現在でも多くのマレーシア人が英国と英国圏へ留学する、ペナン島など地名に英国人名をずっと使い続けている。 世界の国の中には独立後地名などをその国の国語化した国は多いがマレーシアは違う。 マレー民族主義者とイスラム教保守主義者は、よりマレー民族的またはより守旧的イスラム教回帰を盛んに訴えているが、英国植民地主義に支配された150年を批判的に捉えても糾弾することはあまりない。マレーシア華人に至ってはマレー半島の植民化時代は単に歴史の一部であり,糾弾の対象となるようなことはない、糾弾の対象はわずか3年半ながら過酷な圧政をしいた日本軍政時代ですね。こういったことはマレーシアという国の特徴を現している。)
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