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「新聞の記事から」は日本人が興味を抱きそうなことだけを対象にしていません。幅広くマレーシアを姿を伝えるためにニュースを選びその解説を加えています。

(画像はM.I. さんの製作です)

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4月21日のマレーシア記事

【ミャンマーを船で脱出してペナン島に着いたロヒンギャ人78人が逮捕された】
ペナン島の TelukBahang 地区のHujung Batu で1艘の荷運搬用平底船に乗って着いた 78人の(ミャンマーの)ロヒンギャ人が逮捕されました。

ペナン州本土側の Bukit Mertajam でペナン州警察の長は記者たちに説明しました、「ロヒンギャ人の年齢層は2か月の赤ん坊から69歳の老人まで。彼らは4月8日にその船でミャンマーを離れてマレーシアに着いたばかりと思われる。」

「警察の部隊がTelukBahang 地区を取り締まった時、Hujung Batu で道端に居た彼らロヒンギャ人に偶然出会った。」 「尋問したところ、彼ら全員が正規のパスポート類を保持していなかった。」 

「ロヒンギャ人の構成は、男が34人、女性が19人、男児が10人、女児が15人であり、皆が(航海中の)食糧不足のために疲労困ぱいの状態です。」

(Intraasia 注:こういうニュースは決して大きく載ることはない、しかしある国を脱出して船で密入国して来ることはマレーシアで決して珍しいニュースではない。上記の場合は2週間近くも海を漂っていたわけですね。難民をこういう無謀な行動に追い詰める国情をミャンマーは早急に改めなければならないといつも思う)

【ショップロットにあるキリスト教会が建物外に掲げた十字架に対する抗議行動を巡って】

スランゴール州ペタリンジャヤのTaman Medan 地区で4月19日に、地区内のショップロット建物の一部にあるキリスト教会が十字架を建物外側に表示していることに対して、地域のムスリムら50人ほどが抗議行動を行いました。

このTaman Medan 地区はムスリム多数派地区とのことであり、イスラム教に挑戦するなといったプラカードを掲げて教会前で抗議を行いました。
その後協会の建物外側にあった十字架は取り除かれました。

この抗議活動後、あるメディアが、抗議者グループのリーダーの1人は警察長官の兄であると暴露しました。報道によれば、彼は自身の身元に関して認めまた同地区UMNOの前支部責任者であることも認めました。地区住民も彼のことを知っています。

警察長官はこのTaman Medan 地区における抗議活動に関して記者会見の場で発言しました、「このできごとはキリスト教には触れていないと我々は捉えている。むしろ地域にキリスト教会があることへの地域抗議である。」 「兄の役割は地域リーダーとして現場に居たものであり、参加者が攻撃的にならないようにしていた。」 「現時点では、我々は犯罪要因はないと考える。」

いくつかの”寛容な立場”を公言するムスリム組織は、この抗議行動を批判する声明を出しました。ペルリス州の Mufti は言う、「イスラム教は信徒に対して他宗教を軽蔑したり、彼らの信仰を邪魔したりすることを教えてはいない。」

人民公正党PKR副総裁でもある(マレー人の)スランゴール州州首相は言う、「十字架はクリスチャンにとって聖なるシンボルである。彼らにそのシンボルを取り除かせるようなことは受け入れられない。」

(警察長官とは全く別に)内務大臣は記者会見でこの対キリスト教会抗議活動に関して述べました、「他者の宗教を踏みにじるものは誰であれ、扇動罪の対象になる。対処行動が取られるべきです。」

(Intraasia注:マラッカの旧市街地区、ペナン島ジョージタウンの一部には、モスク、キリスト教会、仏教・道教寺院、ヒンズー寺院がそれぞれごく近接して建っている場所がある。それらは古くは18世紀、そして19世紀に建てられた宗教施設です。当時のマラヤにはそういうことを可能にする時代背景があった、もちろん植民地支配者の下にあったことが大きかったであろう。しかしそうい宗教施設の近隣共存は20世紀以降は珍しくなり、マラヤ連邦が独立した頃からはなくなったはずです。 そして21世紀の現代において、モスクの近隣に他宗教施設が新に建つなんてことはもう起りえない。イスラム潮流の高まりは、ムスリムの自意識を強めている)

【イスラム教発展庁 (Jakim) 長官の釈明】
イスラム教発展庁(Jakim)が発表したコンサートに関する指針について、長官は、「これはJakim からのメッセージであり、コンサート主催者などが自主的に選択できるということである。Jakim が実施のために取り締まるようなことはない。」 と釈明しました。

【外国の大学のマレーシア分校と外国大学の単位取得ができる国内の大学】
外国の大学がマレーシアに分校を設立した最初は、1998年の Monash University です。これはマレーシア政府がオーストラリアの大学に国内にキャンパス設置をもちかけたことに答えたものです。

それ以後マレーシアにおける高等教育事情は大いに変転している。多くの外国大学が国内に分校を設置してきました。学生はいるゆるツイニングプログラムで国内で学業を遂行しながら、その外国大学がある国での学士と同じ資格で大学を卒業できます。外国の大学はその学生に向けて、セミスターや1年程その国で学業できる機会を提供する。その授業料はマレーシア分校で学ぶのと変わらない額です。

こうしたことから、政府の推進する高等教育の目標において外国の大学は重要な役割を果たしていることになる。マレーシア政府はさらに優れた外国の大学が国内に分校を設置することを期待している、それによってマレーシアを高等教育のハブ国家にしたい狙いです。

広告要素の高い記事に載っている、国内に分校を持つ外国の大学の例
Monash University Malaysia:6千人ほどのが学生が学んでいる
University of Nottingham Malaysia Campus、 オーストラリアの Curtain University Sarawak, 英国の Universtiy of South hampton,
英国の University of Reading, 英国の Newcastle Univerrsity Medicine Malaysia,

同じく広告要素の高い記事に載っている、マレーシアの私立大学の例 
SEGi University : オーストラリア、英国、米国のいくつかの大学をパートナー提携しているため、その授業の質はパートナー大学と同じレベルである。そういうパートナー大学は学生に 3+0, 4 + 0, のようなプログラムを提供するので、マレーシアで学ぶ学生は結果として、パートナー大学の学士卒業と同じ資格を得ることになる。

(Intraasia 注:1990年代の中頃までは、マレーシアに大学は大変少なかった、10校ぐらいであり、ほとんど全てが国立でした。当時から大学の大学へ留学することを目指すカレッジはあった。いわゆる 3+1とか 2+2 という形だったと思う。要するにマレーシアで2年勉強し、残り2年を外国の大学で過ごすというあり方です。その後マレーシア独自の私立大学が数校設立された,それとともこの記事にあるように、外国大学の分校がマレーシアに設立されるようになった。 2000年以降は目覚ましく増えたようです。もちろん最初から外国へ留学するマレーシア学生も少なくないが、それはより費用がかかるので経済的に可能な家庭に限られる。ここで対象となっているのは英語圏の大学ばかりです。
比較すれば人数は少ないが、イスラム圏へ留学するマレー人学生、台湾・中国へ留学する華人学生もそれぞれ 4桁人数いることは、記しておきます。
現在ユニバーシティー及びユニバーシティカレッジという名称を持つ大学は幾つぐらいあるのか、数えるのに苦労するほど増えた。 マレーシアが発展し、所得が増え、学業環境も変わったという証ですね。マレーシア人学生にとって英語圏大学への部分留学はそれほど難しくないと言える時代になった、日本でも同じみたいですね。1970年代初期に大学に入った(もちろん日本で)Intraasia にはうらやましいことですなあ、外国で学ぶなどいうことは夢としか言えなかった世代ですからね)

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